銀座には「金春通り」と呼ばれる場所があります。この名称は江戸時代、能役者の金春大夫の屋敷があったことに由来していますが、毎年8月1〜7日までここで「金春祭り」が行われています(7月31日前夜祭)。7日の路上能がメインですが、能楽に関わる講座も開催されています。今年は伊海ゼミでこのお祭りのお手伝いにうかがいます。また能に親しみのない方々のために、左のパンフレットを作成し、能や金春通りの解説のほか、英語訳・中国語訳も作りました。パンフレットはお祭り期間中、会場周辺で配布されます。是非、お立ち寄りください。
(銀座金春通り会 http://komparu-ginza.com)
さて、すでにパンフレットに誤りがありますので、ここに訂正させていただきます。
【謡初図の中国語キャプション】
(正)江户城新年时的例行活动〈谣初〉。作为奖赏,能演员可受领到武士的衣装。
【「金春通りの歴史」の解説】
(誤)金春屋敷が1870年頃麹町に移転すると、屋敷跡地に
(正)江戸時代後期に金春大夫の住まいが麹町に移ると、屋敷地に
またシテ方金春流宗家の金春安明先生がこのパンフレットを丁寧にご覧になってくださり、「江戸時代の能役者を町人と限定するのは言い過ぎではないか」というご批判を寄せてくださりました(上記に誤りもご指摘)。
江戸時代の能役者は「武士」ではありませんでしたが、それに準ずるような扱いを受ける者もいたので、ご指摘どおり「町人」と限定するのは正しくありません。能役者は『武鑑』という武士の目録にも名前が載っていたので、士分に近い身分だったといえるでしょう。。その「待遇」の一例が金春通りに関わる拝領屋敷です。
江戸は武家地と町人地とが厳密に別れていましたが(人口増加などの影響で、幕末には区分が崩れる)、後者に拝領された敷地を「拝領町屋敷」と呼びます。能役者が幕府から賜った屋敷はこの「拝領町屋敷」です。武家地の拝領屋敷とは異なり、「拝領町屋敷」は自分が住まず、町人などに貸すこと(アパート経営のようなもの)ができました。法政大学能楽研究所には小鼓役者が賜った屋敷図が所蔵されていますが、地図上には細かな賃料まで記載されています。金春屋敷もそのようにして、町人たちの住まいとなっていきました。
パンフレットは字数の制限もあったので、誤りの訂正とともに補足説明させていただきました。金春安明先生、ありがとうございました。