中島晴矢『断酒酒場』書評

 本書の著者、中島晴矢氏とは酒席をいくたびか共にしている。氏とわたしが本学の文学部日本文学科で同時期に堀江拓充(立石伯)先生のゼミナールに所属していたためである(なお、その当時のことは氏の前著『オイル・オン・タウンスケープ』(論創社、二〇二二年)のなかで少しく書かれている)。

 当時の氏は、よく酒を飲み、また酒を飲めば文学・芸術の諸領域に関して弁舌さわやか談論風発であったように記憶している。一例をあげれば、氏に誘われるまま大学を自主休講し、日の高いうちから酒を間において、マン・レイの〈自殺志願〉を下敷きとしつつ文学者の自殺について日の暮れるころまであれやこれやと議論を交わしたのも、実に文学部生らしい愉快な思い出として、あれから一五年ほど経った今も覚えている。なお付言すれば、わたしは酒を飲みながらの文学談は楽しいものでありつつ酒精とともに忘れ去ってしまうことが多いために、そうした場での会話を書かれたものとして深めることができないことがほとんどで恥じいるばかりであるが、氏はそのときのことを「THE FAKE MONSTER」という批評として書いており、今も氏の個人サイトで読むことができる。

 さて、最後に氏と会ってから早一〇年ほど経ってしまったが、わたしは本書のことを知ったときに、いささか奇異の念にうたれた。すなわちあのように酒を楽しんでいた氏が「断酒」するとはいかなることであるか、と。

 氏が断酒にいたった経緯は本書のなかで明らかにされているので、ここでつまびらかに触れない。それが身体上の問題ではなく精神上の問題であったということを述べれば十分である。身体上の問題であれば、断酒しなければ健康を害し命を失うだけであり、それを避けたければ、やむにやまれぬものとして酒を断つよりほかはない。しかし、精神上の問題ということであれば、そこに、より内的な闘いがあると見ることは不当であろうか。いま「闘い」などということばを使った。それをあるいは氏は好まないかもしれないが、そのようなことばを使うには理由がある。このことについては後述する。

 

 私が読みとった本書の骨子は三つある。

 

 一つ目は〈食エッセイ〉の面である。言うまでもなく最も表面にあらわれた部分である。もとより氏は酒を飲む人間である。それゆえ取りあげる酒肴も目につくままに挙げるだけで、マグロの刺身・さば塩焼・厚揚・肉豆腐・真鯛のフライ・納豆たまご焼・豚バラたまねぎ・冷奴・冷麺・おでん・自家製チャーシュー(目玉焼き付き)・茶漬(鮭)などとツボをおさえたセレクションとなっている。なお、いま列挙したのは同書中にあらわれるなかで私の好みによるものを任意に選んだだけであり、そのほかにもさまざまな酒肴が登場する。

 だが、氏はそれらの味について縷々述べない。もとより味覚が文章で容易に共有しえない感覚であることを知っているからであろう。

 氏が筆をつくして述べるのは酒場の雰囲気そのものである。良い酒場には人を楽しませる力がある。それは精神を賑やかに鼓舞する力であることもあれば、日々の塵労を削りおとし落ちつかせる力であることもある。これを酒自体ではなく場として提供し、酒飲みをそこに引き寄せ、一杯一杯また一杯と杯を重ねさせる誘因力をもつのが良い酒場である。

 

 言うまでもないことだが、酒場はなにも、人を狂わせるための場所ではない。うまく言えないが、おそらく居酒屋には人を救う力がある。(196頁)

 

 氏は、そうした良き酒場と、そこに集う人々を酒に曇らぬ眼で的確に描いている。酒場において醒めた目で人を見ることは、酒に酔った目からは奇異にうつることもあるだろう。しかし、それが奇異にうつらないのは、氏が酔いの下駄を履かずともその場の雰囲気を楽しんでいるからに他ならない。

 そうした文と協業関係にあるのが、そこにそえられる写真の力である。装釘から写真がふんだんにつかわれており、文中においてもそれは同様である。写される酒肴は旨そうであり、机や品書き・背景も酒場の雰囲気をよくとらえている。しかし、注意深く見れば、酒場の写真には人物が入りこんでいないことに気がつく。肖像権をめぐる事情といえばそれまでだろうが、わたしは、カメラを担当した同伴者が「断酒酒場」を共に歩み、その雰囲気を共有・記録するのに、その時・その場の人間という一回的な固有性をあえて排したものだと見たい。

 

 二つ目は「箸休めコラム①~③」と題された書き下ろしの部分である。これを「箸休め」と称したのは氏の美意識であろう。そして、わたしはここに〈批評〉があらわれていると見る。

 このコラムの①②で書かれている内容は本文の「14軒目」の記述とも重なりあっているが、本文のそれでは簡潔に示されていたことが具体的に回想されている点に違いがある。端的に述べれば、インターネット上で掲載された本文では穏便に書かれていたことがより赤裸々に述べられているということである。しかし、この箇所があることによって「当事者研究」としての面が明確になったといえよう。

 また、わたしがこのコラムに着目すべきというのはその③を読んでのことである。コラム③では「『断酒』と『酒場』にまつわるブックガイド」と題され、氏が思い入れの深い関連書を紹介している。その前半部分で紹介されているのが中島らも『今夜、すべてのバーで』、鴨志田穣『酔いがさめたら、うちに帰ろう。』、吾妻ひでお『失踪日記』『失踪日記2:アル中病棟』、ECD「酩酊」『失点イン・ザ・パーク』、小田嶋隆『上を向いてアルコール:「元アル中」コラムニストの告白』である。これらの著者は、いずれもすでに世を去っている。いずれも早すぎた死といってよい。もちろん、酩酊が事故の原因となった中島らもを除き、ほかの著者らは例えば急性アルコール中毒のように飲酒が直截の原因だとは言い難い。しかし、過度の飲酒がその遠因となったように思われることも否めない。

 つまり、何が言いたいか。それは、一つ目としてすでに触れ、またインターネット上で公開されている食エッセイ的な部分における軽妙さ・ユーモアの陰において、氏の精神の上では或る深淵を覗きこむような〈危機〉との〈闘い〉があったのではないかというように、わたしはこのコラムを読んだということである。

 だが、危機との切りむすんだところは同時に批評が生まれる場でもある。氏はそのような切りむすびから酒を取った酒場という視点を見つけ、そこから転変する世界を言葉でとらえる。わたしが本書を食エッセイのみならず、すぐれた批評でもあるとみる所以である。

 

(略)居酒屋から酒を取ったらどうなるのか。酒場から酒を抜いても場として成立するのだろうか。そんな問いを引っさげた本書は、まず第一に町場の酒場リポートである。もっと大袈裟に言えば、「居場所」のあり方を見つめ直すための実験だ。(7頁)

 

 すぐれた批評は世界をあとから追わず先取りする。氏は「個人的な断酒の道のりが、ポスト・パンデミックの社会の変化(お酒を飲まない生き方=ソバーキュリアスや、ノンアルコール飲料での飲み会=スマートドリンキングの普及など)と、奇妙に同期することになった」(8頁)という。これを偶然と見るより奇貨として見るというのは、いささか買いかぶりすぎか。しかし、断酒酒場に慣れてきた気負わぬ眼からみた「3軒目」のマクラの記述(あえてここに引かない)は、今もなお先を行くように思えるが、はたしてどうか。

 

 三つ目は〈業〉である。氏は本編を落語「芝浜」より始め「芝浜」に終えている。その始まりの部分を引く。

 

 他人事のように考えれば、これは落語「芝浜」の始まりだ。貧乏長屋に住む魚屋が、女房に嘘をつかれて断酒する人情噺。そして3年目の大晦日に真実を聴かされ、女房に酒を勧められるも、「また夢になっちゃいけねえ」と断るところでオチ。そう考えると、さしあたって3年間くらいは断酒を継続してみたい。本当は勝手に亡き家元に弟子入りし、立川断酒を名乗りたいくらいなのである。(16ページ、強調原文)

 

 立川談志は「落語とは、人間の業の肯定を前提とする一人(いちにん)芸である」という(『あなたも落語家になれる:『現代落語論』其二』)。氏が、全体のマクラとして立川談志と「芝浜」をおくというのは、氏が自身の業がいかなるものであるか見つけ、見つけた業を見つめ、見つめられた業を言葉としてとらえ克服することが本書の根底にあるモチーフであるということに他なるまい。

 それでは、氏の業とはいかなるものか。それは本書をひもとくにしくはない。ただ、酒場めぐりを経て、それは確かにとらえられているとだけ述べておく。

 しかし、「業の肯定」とひとくちにいってしまえば簡単なようであるが、氏が自身をその作中人物に見立てているとすれば、ことは複雑になってくる。読者は、氏がシラフで酒場を楽しむ過程をとおして自身の業を言葉としてとらえた四年の記録を読んで「なるほど、そういうこともあるかもしれない」と共感したり、「よくここまで来た」と感心したり、あるいは逆に何か認めがたいものを見いだしたりと、各々の立場をもってその業を見ていけばよい。だが、主人公たる氏は、今なお現実を生きている以上は噺をサゲて〆るわけにはいかない。そのようなことは氏は百も承知であることは本編の結末を読めばあきらかである。おそらく、これからを生きる道の一里塚として本書はあるのだろう。立川談志は「人間の業の肯定も克服も、演者自身は、一つもいいわけもしなければ、讃美もしない」ともいう(前掲書)。氏はこれからも長い旅の道連れとして業と連れだっていくのである。

 

 さて、本書の旅路から新たな何物かをまた打ちだしていくのか、あるいはいかないのか。断酒者(ダンシャー)アーティストとしての氏のこれからの活躍に刮目したい。

                         関口雄士(本学兼任講師)

『法政文芸』21号より表紙画像をご担当いただいている中島晴矢さん(現代美術家・日本文学科卒業生)の新刊、 断酒酒場 – 本の雑誌社の最新刊|WEB本の雑誌  を、ぜひお手にとってご覧ください。

小林ふみ子編『狂歌摺物 江戸狂歌人の遊戯』が刊行されました

小林ふみ子編『狂歌摺物 江戸狂歌人の遊戯』が、6月22日に文学通信より刊行されました。
昨年度、話題のNHK大河「べらぼう」で注目を集めた、18世紀末から19世紀前半の江戸狂歌の狂歌人たちが、自分たちの歌を載せるために葛飾北斎や喜多川歌麿など著名な浮世絵師に発注し、贅を尽くして制作したものが、江戸狂歌の狂歌摺物です。一般的に流通していた浮世絵とは異なり、高級和紙が使用され、金・銀・雲母(キラ)をも贅沢に使用された〝一点もの〟の浮世絵です。
「日本より欧米の諸機関・コレクションに多く収められてきたことから、これまでおもに海外での研究がさかんに行われてきました。そのため、本書は日本語では初の狂歌摺物の論文集となり、編者の総論(序章)のほか、海外からの寄稿者3名を含む、中世・近世の文学、また美術の専門家9名の論考を掲載し、それぞれの趣向から彼らの知的遊戯のさまを探ります。」と編者小林ふみ子先生(日本文学科教授)は語っています。
表紙の猫の絵の、空摺り(エンボス加工)で表現された立体感も見逃せません!お手にとって、狂歌摺物の彫り・摺りの豪華さをご想像ください。
以下、書誌情報と目次は出版社サイトからの転載でございます。

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勝又浩著『短歌・小説・日本語』日本文化論のためのノート が好評刊行中です

勝又浩先生(法政大学名誉教授・法政大学国文学会会長)の新刊『短歌・小説・日本語』日本文化論のためのノートが、5月7日にながらみ書房より刊行されました。
月刊誌『短歌往来』にて、2025年8月号まで連載された「歌・小説・日本語」から、日本語と短歌の魅力を時代を超えて縦横に読み解く、興味深い発見に満ちた100編が収録されています。
ぜひ、お手に取ってご覧ください。

以下、書誌情報と目次は出版社サイトからの転載でございます。

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『國語と國文學』令和八年七月特集号が刊行されました

学術専門誌『國語と國文學』令和八年七月特集号(東京大学国語国文学会編)が、6月12日に筑摩書房から刊行されました。
同誌は、1924年に創刊され、2024年5月に創刊100号を迎えた日本で最も伝統ある国語学・国文学の雑誌です。
今号の特集 明治文学研究の新展開 では、中丸宣明先生(元本学教授)により「岡田常三郎の出版活動――続・草双紙のゆくえ――」が寄稿されています。また、現在日本文学科で授業を担当されている、出口智之先生(法政大学兼任講師)により「明治期『読売新聞』の挿絵改革――斎藤緑雨「門三味線」と硯友社の諸作を中心に――」、多田蔵人先生(法政大学兼任講師)により「奥行きのない「私」の登場――谷崎潤一郎『秘密』におけるザッヘル=マゾッホ受容から――」が寄稿されています。
書評では、梅澤亜由美先生(法政大学兼任講師・国文学会会員)により、山田夏樹先生(法政大学兼任講師・国文学会会員)の著書『〈私〉の拡大と物語の現在 戦後日本の近現代文学、サブカルチャー』が、紹介されています。

以下、学術専門誌情報と目次は、出版社サイトからの内容の転載でございます。

    ※

【書誌情報】

発行:筑摩書房
発行日:2026年6月12日
定価:3,080円(税込)                         JAN:491-2-038-19076-8
頁数:160ページ 

【目次】

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尾谷昌則著『その言葉の本当の思惑を見抜く言語学』が刊行されました

尾谷昌則先生(日本文学科教授)の著書『その言葉の本当の思惑を見抜く言語学』が、2026年5月28日にサンマーク出版より刊行されました。

同書は、普段相手が何気なく口にしている言葉の裏に潜む思惑を読むというコンセプトではありますが、心理学の本ではなく、言語学の一般理論を前面に出しているところが特徴です。具体的には、人の会話が滞りなく運ぶ背後にどのような原理・原則があるのかを考えたポール・グライスが提唱した「協調の原理」および「会話の原則」と、 コミュニケーション上の摩擦を最小限にするために我々が無意識のうちに言葉でどのように相手との距離感を調節しているのかを考えたブラウンとレヴィンソンが提唱した「ポライトネス理論」が二本柱になっています。

これらの理論は、尾谷先生が実際に一年次の入門科目「日本言語学概論B」でも紹介されているもので(およそ講義4回分に相当)、それを一般向けに、具体例を増やして平易かつ愉快に解説したものだそうです。卒業生の皆さんにとっては、懐かしい講義風景が思い出されるかもしれません。ぜひお手にとってご覧ください。

以下、書誌情報と目次は、出版社サイトからの転載でございます。

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新入生歓迎会を開催しました

新入生歓迎会が、4月18日(土)にカフェテリア つどひにて行われました。
学生委員会、日本文学科教員が、130名以上の新入生を迎えた会は、活気ある賑やかな中で始まりました。学科主任 王安先生の挨拶から始まり、学生委員長へ司会・進行がバトンタッチされ、まずは「大学での国語力」クラスごとに各テーブルに分かれて、ゆっくり会食しながら同級生との交流を深めました。先生方からの楽しい自己紹介の後、気になる分野別に各テーブルに分かれ、学生委員・担当教員からの紹介や説明を、真剣に聞いていました。

終了後には、恒例の研究室訪問ツアーが行われました。学生委員が先頭に立って案内し、60名以上の新入生が参加しました。初めて訪れた先生方の個性あふれる研究室や、興味深い資料の説明などに興味津々、時間を忘れて各研究室を順番に訪問し、大学での学びに接する機会となりました。

尾谷昌則先生がNHK(総合)番組に出演されます!

    来週の4月26日(日)午前0:10より、尾谷昌則先生(日本文学科教授)ご出演の番組『モジバカリ』が、NHK(総合)にて放送されます。美容家のIKKOさんをゲストに迎え、その言葉を心理学者、言語学者、脳科学者が分析するという趣旨の番組で、MCはバカリズムさんとMEGUMIさんです。尾谷先生はIKKOさんの「どんだけ~!」という決め台詞(?)に注目して分析されたようです。日文生の皆さん、ぜひご視聴ください。
https://www.web.nhk/tv/pl/series-tep-RJ5G2XZ4N3/ep/7JLGJ4R2ML

新入生歓迎会のお知らせ

新入生のみなさま

4月18日(土)12:45~14:45 富士見ゲート3階 カフェテリア つどひ

にて新入生歓迎会が開催されます。詳細はチラシをご覧ください。自由参加・途中退席OKです。

立食形式でのお食事の後には、学生委員会による日本文学科の研究分野やゼミ紹介も企画されています。

終了後に開催される、先生方の研究室ツアーもお楽しみに!

どうぞお気軽にお越しください。

 

学位授与式が行われました

2025年度学位授与式(卒業式)が、2026年3月24日(火)に日本武道館にて行われました。
終了後、市ヶ谷キャンパスG503にて、日本文学科卒業生への学位記交付式セレモニーが行われました。
まずは、2025年度末にてご退任なさる中丸宣明先生より、卒業生へ向けて、あたたかい贈る言葉が述べられました。
その後、卒業生を代表して、石田卓也さん(加藤ゼミ)より、

 

 

 

 

 法政大学での思い出や感謝などを綴った挨拶がありました。また、文学部同窓会特別奨励賞には、法政大学落語研究会部長を務め、第21回全日本学生落語選手権にて見事優勝を飾った、早瀬太亮さん(中丸ゼミ)が表彰されました。最後に、クラス別に学位記の交付が行われました。

18:00からは、ボアソナードタワー26階のスカイホールにて、日本文学科卒業祝賀会「卒業生を励ます会」が催されました。日本文学科では、新たな門出を迎えた卒業生を励ますために、法政大学国文学会と日本文学科学生委員会が中心となり、「卒業生を励ます会」が伝統的に催されています。先生方の近況報告や、2024年度をもってご退職された坂本勝先生のサプライズ登場、また山口和人先生より、卒業生へ向けて、力強いエールが贈られました。恒例の学生委員会によるビンゴゲーム大会や先生方からのサプライズ企画などで和やかな雰囲気の中、最後には、藤村耕治先生の音頭による、恒例の肩を組んで校歌の大合唱!会は盛況のうちに終了しました。歓迎会を企画していただきました学生委員会の皆さま、ありがとうございました。

新入生の皆さん、共同研究室をぜひ利用してください

 新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。
 今日から法政大学文学部日本文学科での学びがスタートしますね。きっと期待に胸を膨らませていることでしょう。しかし、じっと座って講義を聴いているだけでは、「量産型大学生」にしかなれません。自分の好きなことを限られた4年間で徹底的に突き詰め、「自分らしく学ぶ」ためにも、積極的に情報を探しに行きましょう。
 例えば、文学賞を探して応募するのもよいですし、文学フリマに足を運んでみるのもよいでしょう。講義のない空き時間を図書館で好きな本に囲まれて過ごすのもよいでしょう。そして、その選択肢の一つとして、80年館8階にある「日本文学科共同研究室」にもぜひ足を運んでください。いろんな全集を自由に読むことができますし、ドアの横にある掲示板には文学賞や文学館のチラシもいろいろ掲示してありますので、皆さんにとって新しい発見・出会いがあるかもしれません。

 新生活がスタートしたばかりですから、今はまだそんな余裕はないかもしれませんが、ふと空き時間が出来た時に、共同研究室のことも思い出してください。