『久保田万太郎と現代 ノスタルジーを超えて』を読んで

小説、俳句、戯曲とジャンルを横断し作品を発表、活躍した久保田万太郎。慶應義塾大学にて文科に進み、永井荷風主宰の『三田文学』で一九一一年「朝顔」を発表した。そこから長く『三田文学』と寄り添っていく。そして「久保田万太郎」という創作者を生み出した慶應義塾大学に自身の死後、全ての著作権収入を慶應義塾に贈ると宣言しこの世を去った。そして逝去後、その資金は「久保田万太郎記念資金」として文学講座の開設や『三田文学』の支援等、後世に向け促進を果たした。久保田は母校への「ご恩返し」と述べていたが、その言葉以上に現代に至るまで文化事業に貢献しているといえよう。

その資金の最後の取り組みとして本書が刊行された。本書は執筆者達が様々な切り口から久保田万太郎の軌跡を辿り、魅力を読者に熱く伝えている。久保田を知っている人もそうでない人も楽しむことができるだろう。かくいう私自身、恥ずかしながら久保田万太郎の作品を拝読したことはなく知識のないまま本書を手にした。だが本書を読み、「久保田万太郎」という人物の生涯や各ジャンルでの活躍、現代に至るまでの意義を多方面から網羅することができた。

 本書は三部構成となっている。第一部では『三田文学』との関わりの変遷や久保田文学の文学性特徴といった小説家としての久保田の意義だけでなく俳句、演劇といった各ジャンルを横断し久保田が残した作品の意義を論じている。この一部を読むことで、今日に至る久保田の影響力を捉えることができた。

第二部では久保田の人間像や作品の魅力を学ぶことができる。時代の潮流を踏まえつつ、代表的な交流関係や作品と共に論じられているため、順をおって本部を読むことで久保田の生涯を辿ることができ、更に他の部の論考への理解が深められると感じた。

第三部では、現代における久保田万太郎研究の方向性を掴みとれる。これまでの研究を踏まえつつ、新たな視座を持ち人物像、作品を研究された各論考からは、更なる久保田研究の発展を読み取れた。

また、論考の間に挟まれるエッセイにも注目したい。これらエッセイは久保田の小説・俳句・劇について軌跡を辿りつつ各執筆者が思う魅力を描きだしている。久保田のデビュー作「朝顔」を酒や「もろかさな」という久保田の句から読み取る加藤宗哉氏のエッセイなど様々な観点から久保田万太郎という人となりを多角的に読み取ることができるだろう。

余談だが、久保田万太郎を詳しく存じ上げなかった私が特に興味をもったのは、谷崎潤一郎作「春琴抄」を脚色した「鵙屋春琴」についてだ。谷崎と久保田にはいくつか類似する点がある。谷崎が「刺青」で一九一〇年、久保田が「朝顔」で一九一一年にデビュー小説を発表していること、どちらも永井荷風が影響していること、浅草を舞台にした小説を書いていることなどが挙げられる。

 このように類似点がある谷崎と久保田が交わった作品として、谷崎作の「春琴抄」と脚色した「鵙屋春琴」が挙げられる。「春琴抄」との相違点を読み取ることで、演劇と小説、それぞれのジャンルでの作品の見せ方、生き方の違いを考慮した久保田のオリジナリティを垣間見ることができた。

本書から久保田万太郎の軌跡及び作品を辿ることで、当時における文芸界への貢献及び現代に至る貢献について学ぶことができた。本書から、久保田万太郎作品を深く読み込みたいと思う契機となった。

(竹澤花音 二○二三年度大学院修士課程修了)

慶應義塾大学『久保田万太郎と現代』編集委員会 編『久保田万太郎と現代 ノスタルジーを超えて』(平凡社)には、田中和生先生(日本文学科教授)、西野春雄先生(法政大学名誉教授)が寄稿されています。

ぜひ、お手にとってご覧ください。

 

 

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