『麹町二婆二娘孫一人』(中沢けい著、新潮社)が刊行されました

 本書『麹町二婆二娘孫一人』(新潮社)は公明新聞で二〇一二年一月四日から同年十二月二十九日まで「魔女五人」と題して連載された新聞小説を一つにまとめたものである。
 新聞連載の家族小説で舞台が現代というと庄野潤三『夕べの雲』が頭に浮かぶが、同じ五人家族でもこちらの方が特殊だといって差し支えはない。家族が全員女性だからだ。
 皇太子ご成婚の年に生まれた美智子、美智子の母で昔気質の性格を持った富子、美智子の娘でロリータファッションに身を包む真由、関東大震災の年に生まれたきく、きくの娘で夫と死に別れた紀美の五人には性別の他にも全員亥年生まれという共通点がある。各々の年齢に合わせた丁寧な描写が今作の最大の特徴だ。
 この描写の根底には、作者である中沢けいが登場人物たち全員に注いでいる愛の感情がある。たとえば「婆二人」の章で、ふと富子ときくの顔を思い出し、不安にさいなまれて《どうしよう》とつぶやいてしまう美智子の心情は「婆二人」を心配する本質的な愛によって支えられている。
 その後の《大きなお肉》という家族だけに通じる言葉が書かれる場面にも何とも言えない暖かみが感じられる。《大きなお肉》は一家にとって《将来の幸福の代名詞》だが、こういった魔法の言葉がわが家にもあることを思わず自覚させられる。
 もちろん、登場人物たちが不安を抱えていないわけではない。富子一家ときく一家、血縁関係のない二家族が一つの家に暮らしている状態、《ざらざらした》感情や前向きに進むことを強いるような《世の中の空気のようなもので、どこからともなくかけられた号令》に反発を感じる美智子の心情も十分に描かれている。
 それでも作品には心やすらぐ優しさや懐かしさがあふれている。一体、なぜだろうか。
 それは作者が登場人物たちにあふれんばかりの愛情を注いでいるからだ。その愛が利己的なものではなく、あくまでも優しさに満ちている以上、これは言うほど簡単なことではない。中沢はまるで本当にそこにいるかのように彼女たちを描き、街を歩かせ、そして愛しているのである。
 他にも当作品の特徴として、東京の地名が多数出てくることが挙げられる。実在する東京の街に登場人物たちを描くことが作品世界と現実を繋ぐ重要な役割を果たしているのだ。
 麹町の他にも靖国神社や外濠のボートハウス等、市ケ谷キャンパスに通っている身には耳慣れた地名や建物があちこちに散りばめられているのも作品に親しみを感じさせる要素の一つになっている。これは作者が東京という街を愛しているからこその描写に他ならない。同じ電車に乗り合わせたサラリーマンが発する《街を愛している人間は誰もいないよ》という言葉に反発を覚える美智子だが、書き手もまた美智子と同じく東京という《街を愛している人間》なのである。これから作品を読む人には、本著を小脇に抱えながら東京の街を散策することをぜひともおすすめしたい。
 作品と〈今〉がより密接になるのは、物語の最後、東日本大震災が描かれる場面である。このリアルな混乱の描写があるために登場人物たちの存在がいっそう身近に感じられ、作品に散見される東京の地名も際立つのだ。
これからキャンパスの近くを歩く度に何だか彼女たちとすれ違うことになりそうな、彼女たちが今日もこの街で暮らしているような、そんな気持にさせてくれる不思議な力を持った作品である。

(修士課程一年、田中ゼミ、藤原侑貴)

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