映画「楽隊のうさぎ」がCDとDVDになって発売されました

  

 中沢けい教授原作の映画「楽隊のうさぎ」がCDとDVDになりました。

 CDは中沢先生の企画・プロデュースによるもので、小説内もしくは映画内で使用される楽曲と映画のサウンドトラックで構成され、中沢先生の書き下ろし長文ライナーノーツと共に映画のオリジナル曲である「序曲《Flowering TREE》」の楽譜エクストラデータが収録されています。
 また、DVDには映画本編の他に、映画の予告編や秘蔵のメイキング映像、未公開だった練習風景などが盛りだくさん収録されています。

 映画や小説で作品に親しんだ人も、そうでない人も、発売されたCDとDVDで「楽隊のうさぎ」の世界に浸ってみてはどうでしょうか。

 中沢先生ご自身によるCDへのビデオメッセージです

西野春雄名誉教授出演のラジオ番組が放送されます

西野春雄名誉教授が、NHKラジオ第二放送 『わたしの日本語辞典』に出演します。「能をささえる言葉」と題して、全5回放送されます。放送時間は下記のとおりですので、関心のある方はぜひお聴きください。

8月の毎週土曜  午後9時~9時30分
再放送:翌週土曜 午後3時10分~3時40分

(この番組は、5月に放送されたものの再放送です)

修士論文中間報告会が終了

 昨日13時より、大学院棟202教室にて大学院日本文学専攻の「修士論文中間報告会」を実施しました。修士課程2年生(計17名)が日頃の研究成果を報告し、指導教授陣はもとより博士課程の大学院生、修士1年生、研究生なども参加して、活発な質疑応答が行われました。
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20140730_mono posted by (C)法政日文

『吉本隆明』(田中和生著)が刊行されました


 本書は、二〇一二年に亡くなられた、戦後日本を代表する文学者のひとりである吉本隆明氏の最初期の詩から一九九八年の『アフリカ的段階について』までの文業を批評した書物です。
 その内容について少しく述べるならば、序論では「エリアンの手記と詩」、『固有時との対話』、『転位のための十篇』といった詩作を取りあげ、吉本隆明氏の文学的出発点を考察しています。本論Ⅰでは「マチウ書試論」、『高村光太郎』から吉本隆明氏の批評における主眼となる考えを提示し、本論Ⅱではそれをうけ、その思考の理論的な確立をこころみた著作として『言語にとって美とはなにか』、『共同幻想論』、『心的現象論序説』を論じることによって、吉本隆明氏の「思想」の深化をあきらかにしています。そして、本論Ⅲでは『空虚としての主題』、『マス・イメージ論』、『ハイ・イメージ論』といった著作をとおし、時代にたいしてするどい意識をむけながら同伴者でありつづけた吉本隆明氏のすがたを書きながら、その最後の理論的な著作としての『アフリカ的段階について』の読解と、そこからの展望が述べられています。
 さて、それでは本書が吉本隆明氏の文学世界を手軽に一望、理解することができる手引書のようなものであるかというと、それはイエスでありノーでもあります。
 たしかに、本書をひもとくことによって、吉本隆明氏の文業を概観することはできますし、それを起点にして、吉本隆明氏の文学世界に踏みこんでいくかたもおられるでしょう。しかし、そこで提示されているのは、あくまでも田中和生先生の読みであることは留意せねばなりません。
 本書を一読し気づくのは、本書では徹頭徹尾、あまたあるはずの先行研究によらず、ある文章を徹底的に自分自身で読みこみ、自身の内面において考えぬくことで、その文学世界を理解しようとする態度です。
 それは、本書の「後記――結論」で、田中和生先生ご自身が「現在までのところ文芸評論家としてもっとも影響を受けているのは、おそらく吉本隆明からである」と述べ、吉本隆明氏の流儀が「自分が打ち込んで読んだ文学者については「一冊の本を書かなければ収まりがつかない」「本格的な返礼という意味で、書かなきゃいけない」という流儀」であり、「吉本さんの流儀で、吉本隆明の文学について論じたことになる」とし、「自分が打ち込んで読んだ文学者についての「本格的な返礼」としての「一冊の本」は、あらかじめ結論が決まっている。それはその文学者の文章を、わたしたちは読みつづけるべきである。」としていることからもあきらかです。
 ある対象とした文学者にたいして、理論や他人の言説の引用でのみ理解しようとするのでなく、その書物をくりかえし読みつづけ、自分自身の思考と言葉で向きあいつづけ、その文学的世界の拡大を目指しつづけること。
 そのような、文学批評におけるもっとも根源的ともいえるすがたをこの書物は提示しています。
    (修士課程二年、藤村ゼミ、関口雄士)

「修士論文中間報告会」を開催します

大学院、日本文学専攻の「修士論文中間報告会」を、下記のとおり実施します。 修士課程2年生全員が、研究の中間報告を行う場です。

院生諸君は、万障繰り合わせて参加し、質疑応答に加わって下さい。発表プリントは、専攻室に置いてあります。

 

日時 2014年 7月30日(水) 午後1:00~6:00

場所   大学院棟202教室

発表順 カッコ内は指導教員名
【 当日、順番が変わる可能性があります。】

1:00   趣旨説明
1:10-1:25 A関口( 藤村 )
1:25-1:40 B木村( 伊海 )
1:40-1:55 C谷( 宮本 )
1:55-2:10 D藤川( 坂本 )
2:10-2:25 E村上( 田中 )
2:25-2:40 F張( 田中 )
★休憩20分
3:00-3:15 G藤井( 田中 )
3:15-3:30 H須永( 尾谷 )
3:30-3:45 I穀田( 中丸 )
3:45-4:00 J古谷( 中丸 )
4:00-4:15 K多羅( 中沢 )
★休憩15分
4:30-4:45 L加藤( 中沢 )
4:45-5:00 M小畑( 中沢 )
5:00-5:15 N鎌田( 中沢 )
5:15-5:30 O吉岡( 中沢 )
5:30-5:45 P政成( 中沢 )
5:45-6:00 Q大木( 中沢 )
****************

▼修士課程2年生への連絡▼
◎発表時間は、5分です。研究内容を要領よくまとめて下さい。
◎質疑応答時間は、10分です。

問い合わせ先:日本文学専攻主任 加藤昌嘉

『日本文學誌要』(90号)が刊行されました

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『日本文學誌要』(90号)が刊行されました。目次は以下の通りです。


〈論文〉
『万葉集』の「入潮為」考(間宮厚司)

〈研究ノート〉
揺らぎ響(とよ)む大地 ―上代日本の共感覚―(坂本勝)


〈卒業論文〉
詩と政治―白居易「諷諭詩」への新視角―(伊藤謙太郎)
恭仁京と催馬楽 ―《沢田川》と《安名尊》グループの成立と解釈―(杉田真菜美)
『浮世風呂』論―怒りに見る男女の人物造形の違い―(寺山茉祐)
『狂歌若葉集』論(川上美樹)

〈新刊紹介〉
秋山駿・勝又浩 監修 私小説研究会 編 『私小説ハンドブック』

〈修論・博論題目一覧〉
〈卒論題目一覧〉
〈通教卒論題目一覧〉
〈会則・投稿要項〉
〈編集後記〉

『法政文芸』(第10号)が刊行されました

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『法政文芸』(第10号)が刊行されました。目次は以下の通りです。




〈巻頭詩〉
ちぢこまった庭  吉田文憲

〈巻頭エッセイ〉
中国が近づいてくる  北方謙三

【創作】
〈小説〉
 マリカ  木村悠里子
 二十一時、ナースステーションへ  勝又由華
 笑い風呂  寺山めぐみ
 スリープ/ホールド/アブセント  増子いづみ
〈俳句〉
 鍵と恋人  土田瞳
〈掌篇セレクション〉
 つながる  松田涼
 羽の無いよだか  深谷ちひろ
〈評論〉
 小林坩堝『でらしね』論――根無し草の先へ  川鍋義一

【特集】東アジアの文学を知りたい
〈対談〉だからこそ文学交流を  きむふな
                     桑島道夫
〈エッセイ〉 たとえば内モンゴルで  茅野裕城子
       東アジアの時間を知るために  津島佑子
       史鉄生――記憶と印象の文学  栗山千香子
〈ブックガイド〉『来福の家』・『仮の水』・『真昼の視線』・『母をお願い』・『ハンサラン 愛する人びと』・『赤い高粱』・『カッコウが鳴くあの一瞬』・『菜食主義者』・『私たちの幸せな時間』・『韃靼の馬』・『兄弟』・『時が滲む朝』

〈点描〉
〈執筆者紹介〉
〈編集後記〉

2014年度法政大学国文学会を開催

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 7月12日(土)に2014年度法政大学国文学会が開催されました。当日は台風が心配されましたが一転して快晴となり、昨年度よりも多くのご出席の方々をお迎えすることができました。
 今年度は、博士課程在籍者2名の研究発表と本学の小林ふみ子教授の講演のプログラムが組まれ、法政大学日本文学科ならではの幅広い時代における日本文学研究の発表の場となりました。
 最初の藤井輝氏の「平安時代の『伊勢物語』本文と形態――定家本を古態本とみなせるか――」の発表では、『伊勢物語』の形成過程についての発表がなされ、次の内田秀樹氏の「『屋上の狂人』論」の発表では、菊地寛の戯曲である本作における大正期での上演の評価や演出についての研究発表がなされ、どちらの質疑応答においても非常に活発な意見交換が行われました。

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 続く講演では、小林教授による「〈大衆化〉をどう評価するか―江戸狂歌の場合」が行われ、「法政学への招待」を担当されている小林教授ならではの“法政的”な視点から江戸狂歌を研究することや、江戸狂歌の〈大衆化〉の評価や意義についてをお話しいただきました。

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17時過ぎからは懇親会が催され、教員や現役の大学院生をはじめ、卒業生や退職された教員もご来場くださり、途中、新任の国文学会委員の挨拶や会員の方からの近況報告もあり、盛会のうちに終了しました。
 
        日本文学科共同研究室助手 鈴木華織(2013年度修士課程修了)

日文科企画「大学での就活力~作戦を練り直そう!」


 なかなか「相思相愛」の企業にめぐりあえない―そんな日本文学科4年生のあなたのための企画です。これまで迷走したり、立ち止まったりしてきた(かもしれない)けれど、ここで、これまでうまくいかなかったのはなぜか、これからどうしていけばいいか、賢く作戦を練りなおそうではありませんか!

 この時期からのキャリアセンターの活用法も案内します。同じく苦戦中の日文の仲間とともに考えましょう。教員有志も応援にかけつけます。



日時: 7月23日(水) 18:00~20:00(予定) *遅れて参加も可能です。
場所: BT19階D会議室
内容: これからの就活対策の重要点(キャリアセンターからのレクチャー)
     ワークショップ:つまずく原因を探して、なくそう!
主催: 法政大学文学部日本文学科
連絡先: 学科主任・藤村耕治 fujimura@hosei.ac.jp

『『源氏物語』前後左右』(加藤昌嘉著、勉誠出版)が刊行されました


  ――『源氏物語』は揺れ動く。平安時代も、鎌倉~室町時代も、江戸時代もそうだった。現在もそうである。一つは、『源氏物語』の本文が揺れ動く、ということである。二つには、句読の切り方によって、文の気脈が揺れ動く、ということである。三つには、どこからどこまでが『源氏物語』なのか、その境界が揺れ動く、ということである。


 上記は加藤先生の一冊目の御著書『揺れ動く『源氏物語』』の冒頭です。唯一無二の完全なる『源氏物語』などというものは存在せず、数多の写本すべてが『源氏物語』である、ということに対して、目が覚めるような感覚を抱く人は多いでしょう。
 今回の御著書『『源氏物語』前後左右』では、作り物語の定義から問い直し、『源氏物語』作者は? 成立は? そして本文研究とは?  という、一見研究しつくされてきたかのように見える『源氏物語』の根本的な謎に解を与える論考が収められています。これまでの源氏研究では慣例となっていた「青表紙本」「河内本」「別本」という概念そのものに対しての論も収録されており、諸本研究を志す学生にとって新たな視点を与える研究書でもあります。
 大学院のゼミで討論中、先生がよくおっしゃっていたことがあります。唯一無二の正しい完本など、平安時代の作り物語には存在しないということ。魅力的な作品は人々に読まれ、書き足され、伝えられ、また注釈を付けられるということ。そうすることによって広がりを見せ膨張してゆく機能を持ったものであること。ひとつひとつの写本を忠実に翻刻し、そして自分の手で現代語訳をすることの重要性等々。 先生の講義やゼミで耳にしていた数々のことばを思い返し、『源氏物語』を再度辿ってみたいという思いも少なからず浮かびました。
 『源氏物語』は、そして作り物語は、読み手の興味・関心を非常に強く喚起するテキストであるという当たり前のように思われることを、改めて認識する機縁となる研究書ではないでしょうか。
 蛇足になりますが、装丁にも注目するべきであると考えます 。表紙の色、文字のフォント 、背表紙の形、目次のデザインに至るまで趣のある作りになっています。

河野かやの(2012年度修士課程修了  浦和実業学園高等学校講師)

 

勉誠出版ホームページに、内容詳細が載っています↓

http://bensei.jp/index.php?main_page=product_book_info&cPath=1&products_id=100342