FICオープンセミナー「シンポジウム 詩とはなにか、小説とはなにか」

FICオープンセミナー「シンポジウム 詩とはなにか、小説とはなにか」の開催案内を頂きましたので、こちらにも掲載致します。
 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 
1 開催内容
 法政大学国際文化学部では、FICオープンセミナー「シンポジウム 詩とはなにか、小説とはなにか」を開催する運びとなりました。
 私たちは日頃から当然のように文学に触れていますが、改めて考えてみると、よくわからないことばかりです。例えば、「詩」と「小説」は、どう違うのでしょうか? 詩も、小説も、多くの文化に存在することは間違いなさそうです。しかし、その区別はどこまで明確なのでしょうか? また、詩と小説の関係とは、どのようなものなのでしょうか? 両者の関係は、どの文化でも同様なのでしょうか?
今回はデビュー小説である『テーゲベックのきれいな香り』を出版した詩人・山﨑修平氏と、半世紀以上にわたり現代詩を牽引してきた吉増剛造氏の対談を中心に、さまざまな形で詩や小説に向き合っている登壇者たちと共に、この問題について考えてみたいと思います。
 
第一部(14:00〜15:15) トーク・セッション
 
  登壇者(50音順)
    大野ロベルト  翻訳家・法政大学准教授
    瀬戸夏子 歌人・批評家
    渡辺祐真    書評家・シナリオライター
    山﨑修平   詩人・文芸評論家
 
第二部(15:30〜17:00) 特別対談
 
   山﨑修平 × 吉増剛造
 
 
2 開催日時: 2023年5月6日(土)14:00〜17:00
 
3 開催場所: 法政大学 市ヶ谷キャンパス 富士見ゲートG601教室
 
4 参加方法
本イベントは対面方式で開催します。定員は先着順で100名とします。参加ご希望の方は、以下のGoogleフォームから予約してください。法政大学の関係者専用のフォームのため、必ずログインした状態で記入してください。「送信」ボタンを押下後、「ご登録を承りました」と表示されれば完了です。なお、当日は学生証や職員証の提示を求める場合がありますので、ご協力をお願いします。
イベントの模様は、後日オンラインでも視聴可能となる予定です(詳細は関係者のホームページ、SNSなどで告知します)。また、新型コロナウィルスの感染拡大などにより対面実施が困難となった場合には、イベント自体をオンライン開催に切り替える場合があります。その場合には、速やかに周知します。

佐藤未央子『谷崎潤一郎と映画の存在論』(水声社、2022年)書評

 谷崎潤一郎の研究に関して言えば、作品論・作家論はもとより、近年では谷崎の探偵小説に注目したものも出現してきている。本学で助教をお勤めになっている佐藤未央子先生の著書である本書は、そのような研究状況下で、大正期や映画、谷崎潤一郎の文学、といった事柄に対しての斬新な論点を提供してくれる。

 佐藤先生は本書の成果を以て令和4年度(第73回)における芸術選奨文部科学大臣新人賞(評論等部門)を受賞されており、既に『日本文學誌要』第107号法政大学国文学会、2023年)において、清水智史氏が本書の精密な書評を行っている。ここでは本書が取り扱う複数の作品・モチーフから、今後の谷崎文学や映画論における新たな可能性を示唆するものを取り上げたい。

 まず第一章「〈シネマニア〉谷崎の誕生」では、映画という新興の芸術が谷崎に与えた影響の重要性が力説される。そして無声映画における活動写真弁士の役割に関する研究は近年その存在感を増してきているが、その第一人者ともいえる徳川夢声が、同時代人たる谷崎の映画に心惹かれる背景を性的倒錯に見出している点は新鮮であろう。これは続く第二章「「人面疽」の〈純映画劇〉的可能性――映画化計画をめぐって」において、谷崎の女性に対する認識が、女性の身体的な解放という内容を包含していた点や、彼が見出した渡辺温がその短い生涯に短篇作品のみを発表していったことと、重ね合わせて論じることが可能だ。即ち、谷崎潤一郎が映画と濃厚に関わった時代は、無声映画の時代であり、活動写真弁士や楽隊が音声を添え、その上映時間も比較的短いものであった時期なのである。

 第三章「「月の囁き」考――〈映画的文体〉を書く/読む」において、谷崎は映画の一般観衆に対しても、それを単純に享受するのみに留まらない相応の知識を要求したことが言及されている。これもまた、活動写真弁士がその話芸を競い、続き物映画で人を集めたという、浅草六区を中心とした大衆娯楽の〈王者〉たる映画のあり方とは、大幅に異なる意識といえよう。映画と浅草に関して言えば、第四章「肉塊」と映画の存在論――水族館―人魚幻想、〈見交わし〉の惑溺」で提示される映画館と水族館のアナロジーからは、カジノ・フォーリーが浅草六区の水族館から始まったことが想起される。共に薄暗く、観客と対象物(映画のスクリーン・海洋生物)との間に一方向的な視線が存在する、といった共通性を差し引いても、新興のエンターテインメントとしての両者はすぐれてモダンであり、大衆の欲望を惹起したことは想像に難くない。このように谷崎の意識と、谷崎が関与した映画そのものとの間には、微妙な懸隔があったことが窺える内容だ。

 少し位相が変わり、第五章「「青塚氏の話」のドラマツルギー――映画製作/受容をめぐる欲望のありか」では、男性の視線の対象に女性が存在するというジェンダー間格差の状況が論じられているが、これは前章の内容を受けての記述であると同時に、ここから映画「メトロポリス」における偽マリアがヨシワラで富裕層の男性を翻弄する有様こそ、当時の映画にある種普遍的な描写であることが窺える。
最後に、今後の谷崎文学研究における方向性を示唆する重要な章が、第七章「記憶のフィルムと羊皮紙――「アヹ・マリア」と映画語」である。本章ではジュネットの〈羊皮紙(パランプセスト)〉観念を援用し、更には実際の映画館上映パンフレットなども引用して、谷崎の作品そのものと作品内で言及される映画の有機的結合を論じる。谷崎文学は発表時期により細分化され、往々にしてある時期の作品と別の時期のそれとが独立して論じられているが、筆者は谷崎潤一郎という作家を全人的に把握せんと構想し、その方法として映画に傾斜した時期の谷崎を焦点化しているといえよう。

 ここまで縷々述べた如く、本書は谷崎潤一郎を総体的に捉える上では最早必須と呼べる程、基本的かつ重要な論点を包含しており、本書を読むことで、初期と戦時中以降に挟まれた〈映画熱〉の中にあった谷崎を、一過性の現象に翻弄されていたのでは無くある種の必然の中にいたのだと認識させてくれる。

杉本裕樹(大学院博士課程3年生)

日文科卒業生の作品が掲載

 日下雪さん(筆名、応募当時4年生)の小説「ぴか/\の零」が、『緊急文学宣言むさしの学生小説コンクール作品集』に掲載されました。

 本書は、武蔵野大学と武蔵野文学館が新潮社の協力のもとに開催した「むさしの学生小説コンクール」にて、応募作品156編の中から選ばれた9つの作品を掲載したもので、2022年12月に新潮社より刊行されています。同コンクールは、コロナ禍で急速に広まったオンライン授業により問な直されることになった学校空間を改めて考えるべく、「学校2021+」をテーマに広く学生からの作品を募り、2021年に開催され同年12月に審査結果が発表されました。日下さんの作品をはじめ、当時の学生達の知見と感性が紡がれた結晶が収録されています。

 学生の皆さん、日常生活の大部分を過ごす「学校」について、本作品集を読んで改めて考えてみるというのはいかがでしょうか。あなたには見えていなかった「学校」の側面が発見できるかもしれませんよ。

『日本文学論叢』第52号が刊行されました

法政大学大学院日本文学専攻研究誌『日本文学論叢』第52号が刊行されました。

目次は下記の通りです。

○*********○

《論文》

峰行くししの友を多み~万葉集二四九三番歌の「しし」はカモシカではない~ 斉藤榮一

流布本『平治物語』覚書~位置・成立・性格について~ 有賀伊織

隠喩としての〈疫病〉:寺山修司の戯曲『疫病流行記』小林福実

《創作》詩・短歌・エッセイ・評論

肉芽・あさぶく 石川美実

親しみのある来世 磯崎真悠子

プロメテウスの勇気 阿部愛利咲

九州大学附属図書館音無文庫蔵『間彙』について 富山隆広

娯楽文学における一九三九年~戦間期の探偵から戦時体制下の探偵へ~ 杉本裕樹

中上健次の〈十九歳〉~「なにものか」になるために~ 鈴木華織

 

『日本文學誌要』第107号が刊行されました

『日本文學誌要』(法政大学国文学会)第107号が刊行されました。

目次は下記の通りです。

*—————————–*

《講演:琉球文学の先端的研究》

オボツ・カグラ(他界観語)の語源 間宮厚司

オボツとオモト 福寛美

琉歌における「天」について ヤナ・ウルバノヴァー

《論文》

能〈賀茂〉の構想と間狂言 富山隆広

《卒業論文》

舞楽《青海波》の実像――歴史的意味と変化―― 片山紀花

「浅茅が宿」における手児奈伝説が与える効果について 坂本梨那

大江健三郎『万延元年のフットボール』論――不条理に見出だす蜜三郎の責任―― 中島竜樹

《書評》

中丸宣明 著『物語を紡ぐ女たち――自然主義小説の生成――』小林福実

佐藤未央子 著『谷崎潤一郎と映画の存在論』清水智史

小林裕子 著『佐多稲子 政治とジェンダーのはざまで』矢澤美佐紀

《法政大学国文学会彙報 二〇二二年度》

《法政大学国文学会会則》

《法政大学国文学会教員のつどい申し合わせ》

《投稿要項》

*—————————–*

『法政文芸』第18号が刊行されました

『法政文芸』第18号「特集・文学と美術を束ねて」が刊行されました。

COVIDー19の影響により、一時期は学生編集部の活動休止を余儀なくされましたが、2022年度から本格再始動しました。

目次は下記の通りです。

●~~~~~~~~~~●

巻頭詩 暗黒物質 井口時男

巻頭エッセイ 花輪和一――生きのびた童女 福山知佐子

【創作】

《小説》

交じり混ざって修羅となる 河野龍希

アリエンと出会う日 島崎里実

私の神様 長谷川奏

降りて、それから 渡邉那奈

《俳句》

世之介日記 田中秀輔

【特集】文学と美術を束ねて

《インタビュー》

息吹としての美術から人間に迫る 朝井まかて

《エッセイ》

鉄の匂い 篠原勝之

物語が見える風景 ミヤギフトシ

私の「ラオコオン」 中島晴矢

《特集企画》

書く、描く、見る

《学生レビュー》

執筆者紹介・編集後記

表紙・絵+ロゴ作成 司修

●~~~~~~~~~~●

『法政文芸』編集委員会 公式Twitterも是非ご覧ください。

 

 

 

 

佐藤未央子先生が芸術選奨新人賞(評論等)を受賞

2022年度の芸術選奨文部科学大臣賞と同新人賞の受賞者が、3月1日に文化庁から発表され、日本文学科の佐藤未央子先生が新人賞(評論部門)を受賞ました。同賞は、演劇、映画、音楽、舞踊、文学、美術、放送、大衆芸能、芸術振興、評論等、メディア芸術の11部門において優れた業績を挙げた人に贈られるもので、大臣賞には映画「すずめの戸締まり」の監督である新海誠さん(メディア芸術部門)が選ばれています。

佐藤先生の受賞理由となったご著書『谷崎潤一郎と映画の存在論』は、谷崎と映画の関係について考察したもので、水声社より2022年の春に出版されました。受賞理由にもあるように、本著作は谷崎にとって映画とは何だったのかという根本的な問いを掘り下げ、スリリングな考察が素晴らしい筆致で展開されています。

ことばを追い求めるということ――山﨑修平『テーゲベックのきれいな香り』を読んで(鈴木華織)

 想像を絶する出来事が起こった時、果たして自分はその事象を満足できることばにして表すことは可能なのか。そして、その〈満足できることば〉とはいかなるものなのか。それが、詩人である山﨑修平氏の初めての小説『テーゲベックのきれいな香り』(河出書房新社)を読んでいる時に頭にあったことだ。

 忌憚なく申せば、作品は複雑であり、起承転結がある進み方とは距離を置いている。主人公で詩人の「わたし」が書こうとする、「それは詩でもない、短歌でもない、散文でもエッセイでもない、何か」という「小説」がまさしくこの作品の形容にふさわしい。

 作中の中心となるのは、2028年に起こった、名付け難く「あれ」と呼ぶしかない災害である。「わたし」は、あらゆることばが無力となる「あれ」を経験して詩の読み書きができなくなるが、神戸にある祖母の家で食べるテーゲベックの香りから、意識とも無意識とも判然としない記憶の流れがとめどなく流れ出る……、とすると誰もがプルーストの『失われた時を求めて』を想起するだろう。この作品もよどみなく「支離滅裂で脈絡のない、人間の思考」の世界が広がる。そして読み手は、その世界からあふれ出ることばの洪水に身を置くことになるのだが、その洪水は「あれ」を書き語ること、ひいては〈私〉という個人について書き語る行為の根本にある、ことばそのものをむき出しにして見つめ直すという詩人の〈挑戦〉としてあると私は感じた。

 そして、「わたし」とは別の主人公ともいうべき存在として東京の存在があり、作中には数多の東京の地名が登場する。漱石が「どこまで行っても東京がなくならない」とし、鷗外も「普請中」とした東京は、110年以上経ってもスクラップアンドビルドを絶え間なく繰り返えし増殖を続けている。そして、その増殖する地はさまざまなルーツの人たちが集う「寄せ集め」の街であり、「寄せ集めの街のことば」が思考され、飛び交い、「幾人もの記憶、整合性の取れない会話、文章」を作っている。

 私が先に〈複雑〉とした作品の展開も、東京で膨大な数がやり取りされる意識や会話のように「寄せ集め」的であるが、居心地悪くはない。なぜならば、その「寄せ集め」には隙間があり、その隙間は私たちの意識や会話そのものであるからだ。そして、その隙間は作中における「わたし」が「それなのに(整合性が無いのに―引用者)、どうして見えてしまう瞬間があるのだろう」といぶかる「瞬間」のことであり、この「瞬間」こそ「わたし」が貫く「書かないものを書く。/書かないことで書く。」ことを指すのではないかと思われる。「瞬間」自体はことばにはできない。だが、「瞬間」を「瞬間」たらしめるためのことばはある。それに気付くか気付かないか、ことばへの希求がこの小説には込められている。

(大学院博士課程 鈴木華織)

奥野紗世子さんの新作「オーシャンビューの街のやつ」が『文學界』(2022年12月号)に掲載

デビュー作「逃げ水は街の血潮」で第124回文學界新人賞(2019年度)を受賞した奥野紗世子さん(大学院日本文学専攻修士課程)の新作「オーシャンビューの街のやつ」が、『文學界』12月号に掲載されています。昨年も「無理になる」が『文學界』(2021年6月号)に掲載されていましたが、精力的に創作活動を続けているようです。日文科の皆さん、読書の秋にぜひ『文學界』12月号を手に取ってみてください。

井口可奈さんが「第4回ことばと新人賞」にて佳作を受賞!

 日本文学科卒業生の井口可奈さん(中沢ゼミ)が「第4回ことばと新人賞」にて佳作を受賞しました。応募総数は318作品で、選考委員には小説家の江國香織さんや滝口悠生さんをはじめ錚々たる方々が名を連ねています。受賞作「かにくはなくては」は、文学ムック『ことばと』(vol.6)に掲載されていますので、ぜひ手に取ってみてください。